神奈川県大磯町「大磯の左義長」(さぎちょう)
素朴な民間信仰と盛大な道祖神の火祭り
日本の祭りを撮る!〜第1回
正月は元旦に初日の出と共に年神様を迎える。家の前に飾る門松やしめ縄は年神様が降りて来られる依り代となる。1月14日の夜に正月飾りや旧年のお札を燃やし、年神様をお送りする「どんど焼き」「賽の神」などと呼ばれて全国各地で行われている。
大磯ではこの行事を左義長と呼ぶ。道祖神の火祭りとしては400年以上の歴史を持つが、名のいわれは1世紀の中国後漢の頃、帝が仏教と道教とどちらが優劣かと、仏教の教本を左、道教の教本を右に置いて燃やさせたところ左の仏教の経典は燃えずに五光を放ったことから「左の義が長する」と言われ、明治になってから、その名が伝わったという。
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Photo-1/大磯の旧東海道。左義長が終わるまで9地区は「ミチキリ」という飾りで区切られる。
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Photo-2/ミチキリは大根を重りにした御幣で境界を清め邪鬼の侵入を防ぐ。
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Photo-3/地区ごとに立つオンベ(御幣)。神様が降りられる依り代となる。

大磯は古い漁師町。街中を通るのは旧東海道。五十三次の8番目の宿場町として栄えた。大磯の左義長は旧年の12月8日の事八日から始まる。事八日の夜には疫病神の使いの目一つ小僧が帳簿を持って家々を訪れ人々の行いを記帳するといわれる。この帳簿を元に疫病神がやってきて人に災いをもたらすというから厄介だ。「来年1月15日に帳簿を取りに来る」と目一つ小僧は道祖神のセエノカミサンの祠に預ける。困ったのはセエノカミサン。前日の1月14日の夜にセエノカミサンは家と共に燃やしてしまい、帳簿を取りに来た目一つ小僧に「火事で焼けた」と言い訳して、里人は難を逃れたという。2016年は1月8日~10日に行われた。